「ま、いっか」はポジティブ?諦め?~本当の自分と今ここの自分がイコールになるイメージ言語~

こんにちは。
5人組づくりを実践しているコミズヨシミです。
ご訪問ありがとうございます。
「ま、いっか」はポジティブ?諦め?
「ま、いっか」
って使いますか?
一見、こだわりがなく、切り替えが早く、ポジティブな印象を与えるこのセリフ。
確かにいつまでも過ぎたことをネチネチ繰り返すのは生産的ではないですよね。
自分も相手も疲れるし。
ダメだったところを客観的にしっかり判断して、次に生かす!
そういう切り替えってめっちゃ大事です。
でも、人間共通の仕組みから「ま、いっか」の裏にある思いを観てみると、「諦め」の気持ちがあるのがみえてきます。
「こうしたい!」と描いた理想からは外れているわけです。
うまくいかないことが多いのは当然ですけど、自分の理想と現在地を比べてみるとどうでしょうか。
本当はもっとみんなで協力してやりたかったけど、
本当は仕事も家庭も趣味も全部やりたかったけど、
本当は安心して本音を言える関係性になりたかったけど、
本当は世界が争いのない平和な世の中になってほしかったけど、
本当は誰もお金で悩まない世の中にしたかったけど、
「本当はもっとこうしたかった」というのがたくさんあるのではないでしょうか。
でも、世間の大人は現実を見ろっていうし、言われるまでもなく自分ができることの限界をまざまざと痛感したり。
自分にできることは世界から見たらほんのささやかなこと。
でもその一滴のしずくが、大きな波紋になればよいと根拠のない希望だけを抱いて。
「一滴のしずくを落とすくらいしかできない自分」だから仕方ない。
「ま、いっか」って言うしかない。
「ま、いっか」=諦め
なんですね。
人間は繭の中の蛹
でも、この諦め、さっきも言ったように人間共通の仕組みから見たらみえること。
個人の能力や性格の問題ではなく、人類が700万年間蓄積してきた思いなんです。
だから相当年季が入っています。
そう、その人間共通の仕組み、それは、
繭の中の蛹の状態だということ。
1人ひとりが繭の中にいてしかも蛹の状態なんですね。
だから、実は一度も誰にも
出会ったことがない、
話したことがない、
聞いたことがない。
今、あなたが目の前に見える現実の画面は、1分1秒でも誰一人にとして共有したことがない。
逆もしかりで、あなたの隣にいる人が見ている世界を、あなたは1分1秒でも見たことがない。
全く違う空間、全く違うイメージ、全く違う経験、全く違う考えや感情を持ていて、全く違う世界を生きているんです。
それなのに私たちはまるで自分がいて、目の前に相手がいて、同じ空間の中で同じ言語を使って話していると思い込んでいます。
すごい怖いことですよね。
これって、言うなれば目隠しをしたまま車の運転をしているようなものです。
実は事故を起こしまくりで傷だらけなのに、それが当たり前すぎて気づかない。
あるいは頭に火がついているのに、それに気づかず楽しくおしゃべりしているようなもの。
出会いたくても出会えない
愛したくても愛せない
それが私たち人間の現在地。
そんな人間の状態を、トマス・ホッブスは
「万人の万人に対する闘争」
と表現しました。
本当の人間は無限の可能性
繭の中の蛹状態で、何やってもうまくいくわけがないんです。
だからこそ人間はいまだに争い1つ終わらない。
そして、だからこそ「人間とは何か?」と疑問が生まれるし、より良くあろうとしてきたわけですね。
そうして本当の人間がいかにすごいのかを発見した人たちが歴史上にいます。
釈迦とか、キリスト、老子、ソクラテス、ニーチェなどなど。
彼らは本当の人間は、繭の中の蛹レベルなんかじゃない。
その外にもっとすごすぎる自分がいるのだと。
多かれ少なかれ人間の無限の可能性を発見したのです。
この体の自分を疑う
本当の人間は無限の可能性です。
今の時代、本質追及の人も増えているし、何かしら真理っぽいものに出会ったことがある人も結構いるので、人間が無限の可能性だということに賛同してくれる人は多いと思います。
どのくらい「無限の可能性」だと認識しているのかレベルはいろいろあるとして。
なのに、現実で生きる時は、この体が自分になる。
ちょっとしょぼすぎません?
無限の可能性の自分からみたら、この体だけが自分ってあり得ない。
だから、人は無意識深くに自分への疑いがあります。
この体が自分なはずないって。
もっと無限の可能性を発揮したすごすぎる自分で生きられるはずだって。
その無意識からの声との乖離がある。
自分を疑うと、それは不安になります。
何をやっても「これでいいのかな?」が付きまとうんです。
何一つとして実は確信がない。
そんな不安は、108煩悩を生み出します。
そして108煩悩に苛まれていくと、見ること聞くこと全てに対して恐怖心が沸き上がり、生きることそのもの、存在していることそのものが恐怖になります。
そんな状態で生きたってうまくいくわけもなく、挫折の蓄積、結論は絶望。
「何で生きなくてはいけないのか!?」
最後には怒りで絶叫へ。
人間はこんな考え・感情の道を700万年間繰り返してきたんです。
争いが絶えなくて当然。
苦しくて当然。
でも、生きなくてはいけない。
だから、「ま、いっか」て唱えるんです。
諦めてしまえば何も始まらないから。
何も感じなくていいから。
人間の涙ですね。
本当の自分=今ここの自分
この人類700万年間の「ま、いっか」をどうすればクリアできるでしょうか。
歴代の偉人たちも、現代の追求者たちもみんながぶち当たる共通の壁として、
本当の自分≠今ここの自分
これがあります。
宗教では「神」として自分と分離しました。
カントは「物自体」としてイメージするなと言いました。
ウィトゲンシュタインは「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と言いました。
科学では全ての根源はエネルギーというところまでわかれど、エネルギーが何かはわからないし、それが自分とはつながりません。
瞑想して宇宙とひとつになった気がしても、いざ現実で仕事をすると瞑想なんて吹っ飛びます。
むしろ「本当の自分は無限の可能性なのに!」と今ここの体の自分との乖離がひどくなってますます凹む。
「本当の自分」が何なのかを明確に規定できない限界があります。
これは、真理の規定、「1」が何なのかの規定ができないことでもあります。
でも、これも個人の能力や努力の問題ではないんですね。
道具が間違っていただけです。
私たちが一番よく使う道具、それは言語です。
哲学でも言語の限界はウィトゲンシュタインを代表に語られていますが、私たちが使っている言語は、無限の可能性の自分を認識できる機能を持っていません。
言うなれば、自転車で月に行こうとするようなものです。
どれだけ自転車をうまく乗りこなしても不可能ですよね。
そんなものなんです。
言語の限界を補った新しい言語が、21世紀の悟り人 令和哲学者Noh Jesu先生が発明したイメージ言語です。
イメージ言語は、
「1」が何かを明確に規定しています。
無が何か、有が何かを規定し、無から有が生まれる仕組みを説明します。
繭の中の蛹から羽化して、大自由になれます。
哲学的に言うと、絶対世界と相対世界をイコールにするものです。
だから本当の自分=今ここの自分を認識できる言語なんですね。
最高の仲間を得て、「ま、いっか」とサヨウナラ
ぜひこのイメージ言語をゲットして使ってほしいですね。
めちゃくちゃ使える道具なので。
で、このイメージ言語を使っておススメなのが最高の仲間づくりです。
もちろんまずは自分自身が繭の中の蛹から自由なることです。
そして、人間が何がつらかったって、人を愛したくても愛せないことです。
出会いたくても出会えない、
チームプレイしたくてもできない。
争いしかできない。
これは誰も責めることができないことです。
イメージ言語は、本当の自分と今ここの自分を自由自在に行ったり来たりできるので、自分以外の色んな人の観点にも入れます。
初めて、出会えるんです。
愛せるんです。
だから、人類が700万年間したくてもできなかった最高のチームプレイをしましょう。
それができる最高の仲間づくりをしましょう。
その基本単位は5人組。
これは宇宙のロゴスに沿っている人数なんです。
自分の命以上に大切に思いあえる仲間が5人生まれ、その5人もまたそれぞれが5人の仲間を得る。
細胞がコピーされていくように、どんどん5人組がコピー増殖していく。
そんな仲間を得た時、不可能はなくなります。
「ま、いっか」と永遠にサヨウナラになるんです。
イメージ言語を得る最初の一歩として、蛹の中の繭であることを知ることから始まります。
イメージ言語創案者のNoh先生が開催している「絶望ワークシミュレーション」が超おススメ。
ワークをしながら「人間みんな繭の中の蛹なんだー」っていうことが体に染みていきますよ。
次回は7月31日にあるので、ぜひ参加してみてください↓↓
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