映画「ジョーカー」から観る現代社会の孤独

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0=∞=1で美しい組織づくりを実践しているこみずです。

ご訪問ありがとうございます。

先日、今話題の映画「ジョーカー」を観てきました。
あなたはもう観ましたか?

観終わった後は何とも言えない心地に。。。
心を捻じ曲げられたような感じがありました。

「生きること以上に硬貨な死を望む」

こんなセリフが出るほど、アーサーの現実は悲惨で孤独でした。
笑ってしまう疾患のため、自己表現が思うようにいかず、人間関係がうまくいかない。
病気の母親を抱え、貧しく、頼る人もいない。
職場では、やっていないことをやったと決めつけられる。

格差社会は、弱者をとことん追い詰めます。
AI時代になり、これからは「サピエンス全史」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリが言うように、無用者階級まで量産されてくる時が目前です。
もはや弱者でもなく無用者なのです。
そんな時代になれば、強者ですら本当に幸せになれるのでしょうか?
「ジョーカー」でもウェインは自分の地位を守るのに必死ですし、結局殺されてしまいます。
人間社会はつながっているもの。
弱者が倒れたら強者も倒れるのは必然でしょう。
そんな時代を前にして、私たちはどうすれば良いのでしょうか?
そのヒントが、「生きること以上に硬貨な死を望む」という一言に込められていると私は思います。

この現実は全て妄想

「ジョーカー」はどこまでがアーサーの妄想で、どこまでが現実なのか、ハッキリしないところが解析を楽しめるところです。
監督がどう描きたかったのか、その真意は私には図りかねますが、アーサーの妄想だったというところは認識技術nTechが伝えているとことと、とても相性が良いと思いました。

nTechではこの現実は全てホログラムであり、スクリーンの中のことと言い切っています。つまり、妄想なんですね。真実は、自分と自分の宇宙は実在しないのです。

自分と自分の宇宙が消えた時、本当の自分に出会い、1つだけがあることが明確にわかります。
1つだけがあることがわかるから、楽しんでスクリーンの中に入っていけるのです。

この世界に出会うことは、
「生きたまま死ぬこと」
を意味しています。
これこそが生きること以上に価値があることなのです。

アーサーはその究極の境地を知ったのかもしれません。
最後の血の足跡がつくシーンは、辛い前半戦の生き方が終わって、楽しい後半戦ガスターとしていることのメッセージのように感じました。

日本には「ジョーカー」がたくさんいいます。
笑顔の下は、我慢と孤独です。
令和日本はそれを払拭したいです。
誰もが本当の自分に出会い、自分の可能性を花開く時代を切り開いていきましょう。

Nohさんが「ジョーカー」について解析したブログがあるのでぜひ読んでみてください。

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/11/3

Noh Jesuオフィシャルブログ

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