【絶望シリーズ】生殺与奪の権を他人に握らせるな

【絶望シリーズ】生殺与奪の権を他人に握らせるな

こんにちは。
0=∞=1で5人組づくりを実践しているコミズヨシミです。
ご訪問ありがとうございます。

生殺与奪の権を他人に握らせるな

「鬼滅の刃」で富岡義勇が言っていたセリフ。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」

あのシーンは胸に響きますよね~。

おっしゃることはごもっとも、なセリフ。
しかし、改めて考えると、生殺与奪の権を他人に握らせてないことなんてあったでしょうか?

生きるも死ぬも、自らが理由であり自らが決める。
そんなこと、できると思いますか?

自ら生死を決めた人というと、乃木希典将軍を思い出します。

この写真の撮影日に夫婦共に自刃。明治天皇に殉死した乃木希典が神として崇められるまで

明治天皇が崩御された日に、夫婦そろって自刃。
自ら死に場所を決め、それを実行した彼の生き様はまさしく生殺与奪の権が自らの手にあったと言えます。

生死を自分で決められない生き方とは?

とはいえ、乃木将軍のような人は極めて稀。
現代ともなると、世界的に見ても生死を自分で決められる人ってどれくらいいるでしょうか。
何よりも生死を自分で決められない生き方の何がそんなに問題なのでしょうか?

生かされている

「生かされている」よく聞くセリフです。

自然に、親に、周りの人たちに。
感謝の念を持って。

一見美しく聞こえる言葉ですが、強烈な依存・委任をつくります。
人生において主体性がなく受け身。

宇宙があって、地球があって、国があって、親がいて自分がいる。
世界はでっかいけど、自分はちっぽけ。
偉大なる世界の前に、歴史の前に、受け入れて感謝と共に生きるしかない。

ものすごく人間の可能性を殺した考え方です。

あくまでも原因は宇宙や親にあって、自分が原因にならない。
因果関係から自由になることができない。
ものすごい束縛体系の中に自分を閉じ込めることになります。

いつ死ぬかわからない不安

死を自分で決められないということは、いつ死ぬかわからない不安を無意識深く常に抱えたまま生きることです。
ひどい人だと、何かする時にはいつも起きてもいないことに不安します。

旅行に行って事故が起きたらどうするのか、
コロナワクチンを打って死んだらどうするのか、
考えだしたらキリがないですね。

その不安がまるで社会にあるように思い込んでいることが多いですが、本当は自分が生み出している不安です。

役割がわからない

生死を決められないと、自分がなぜ何のために生きているのかがわかりません。
そして、人生においてどんな役割を果たすのかが定まらないんです。
結果として環境に合わせて、従って生きるしかなくなります。

こうした状態が無意識深くに根差したまま生きているのが現代人の現在地なわけです。

生死を繰り返している

では、自分で生死を決められる生き方はどうすればできるのでしょうか?

その前に、人生は一度きりって思ってませんか?
一度生まれて死んだら終わり。

それは思い込みにすぎません。
事実は、今ここ生死を繰り返しているのです。

数学の膜理論では、1秒間に10の500乗回、宇宙が有ったり無かったりしているという数式が出ています。
つまり、今ここ生まれたり死んだりしているのです。

生も死もない

さらに言うなれば、真実は、
今ここ生も死もない、
不生不滅
生まれたり死んだりするようにさせる1つだけがある

生も死もないことを理解した時、自然と生殺与奪の権を他人に握らせない生き方への道へつながっていきます。

自分の人生は自分で設計する

生死を自分で決められることで、初めて自分の人生を自分で設計できます。
それを可能にするのがnTech・令和哲学であり、不生不滅の実践者がNoh先生です。
百聞は一見に如かず。
生死を自分で決められる生き方がどれほどワクワクして楽しいのか。
ぜひ実践者のNoh先生に会ってみてください。

6月6日のPeace Bisiness Life Schoolと女性性TRUTHERSのコラボ企画にNoh先生も出演します。
良かったらのぞいてみてくださいね。

http://www.pbls.or.jp/event/tpp2021.html

~心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く~