令和哲学者Noh Jesu氏との出会い

こんにちは。
0=∞=1 でポストコロナ時代の美しい組織づくりを実践する小水です。
ご訪問ありがとうございます。
今日は、私の人生を革命的に変えるきっかけとなった令和哲学者Noh Jesuさんとの出会いについて振り返ってみたいと思います。
かれこれ8年くらい前になるでしょうか。
大阪のカフェでの出会い
Nohさんとの出会いは、大阪のとあるカフェでした。
仕事を終えると約束の時間にギリギリで、急いで駆けつけました。
そして、到着してから待っている間、注文したコーヒーを飲みきらないように気をつけたり、座る位置を考え直したりと、ちょっとソワソワしていましたw
そして、いよいよこちらへ向かって歩いて来るNohさんを見た時、
驚きました。
背が低かったのです。
いや、中肉中背と言える感じですが、勝手にスラッと背の高い人を妄想していたんですね。
どこからそんな勝手なイメージが来たのだと我ながら不思議。。。
おそらくあしながおじさんではないかと。。。
そんな勝手なイメージが破壊されたところからの出会いでした。
なぜnTech、令和哲学が真理だと言い切れるのか?
さて、せっかくのこの機会、逃してなるものかと、以前より疑問だったことをNohさんにぶつけてみました。
「なぜ令和哲学、nTechが真理だと言い切れるのか?」
私はそれまでにNohさんのセミナーを受けたことも本を読んだこともなかったので、勉強してから来いと言われても仕方ないことではありましたが、自分が学ぶ前にやっぱり確認はしておきたかったのです。
世の中には、「これが真理だ」と言う人はたくさんいます。
そう言う人たちは、だいたいそれなりの追求がありますし、言っていることも素晴らしいなと思います。
歴史上の偉人を振り返ってみても、釈迦やキリストなんかは、素人の私が聞きかじったレベルでも素晴らしいですし、人間が彼らの言うように在れば良いなと心から思います。
彼らの言うことを、周りが受け止めていなかったり、悪用されることがあって誤解や避難が生まれることは多々ありますが、それは決して出発の本人が言っていることがおかしいというものではないと思います。
けれど、「これが究極の真理だ!」と世界共通に認識できたことは歴史上一度もありませんし、それゆえに戦争や紛争も終わっていないというのも事実。
そこにNohさんは切り込んで「これが究極の真理だ!」と言い切っているわけです。
その根拠は聞きたくなりますよね?
Nohさんの回答はシンプルでした。
「信じる世界0%、理解する世界100%」
この言葉はスッと私の中に入ってきました。
正直、意味はそんなにわかっていませんw
ただ、力が抜けた感じがしたのです。
その後、令和哲学、nTechを習得していくにあたって、理解する世界だというその意味の深さを何度も味わいました。
改めて客観的に振り返ると、この返答が出るってすごいなと思うんです。
自分の思想・哲学・論理が真理かどうか問われて、この
返答をする人が果たしているでしょうか?
「理解」とは、「理(ことわり)を解く」ということ。
「理(ことわり)」は客観性、再現性が可能です。
真理というのは、感じるものだと思っている人は多いと思いますし、「不立文字」とも言われた世界です。
その世界を「理解」と言い切れるのはどういうことなのか。
それをNohさんは身をもって実践で証明してきたなと思います。
25年前、たった1人で始まった道のり。
今では何百人という仲間、何万人という受講生がいて、Nohさん以外に令和哲学、nTechを教え、実践する人たちがいます。
真理が何なのか、
そこに対するアンサーを持って、誰もが次のステージへとジャンプしていく歴史的な変革の時が迫っています。
それはどこから始まるのか?
日本です。
最近、Nohさんは日本のことを英雄集団と言います。
最初はかっこよすぎてびっくりしたけれど、今ではお気に入りのフレーズです。
英雄集団が、英雄のタイミングで、英雄の勝負をし、英雄産業を起こす。
そんな日本を共につくっていきませんか?
〜心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く〜
-
前の記事
素材が世界を変える〜ポストコロナの経済を活性化させる新素材とは〜 2020.06.13
-
次の記事
洗濯物干しから観えるストーリーの美学 2020.06.20