令和哲学カフェ:自分と他者~自分があるから苦しい、生きたまま死ぬことの価値~

こんにちは。
「5人組が世界を変える」Awai代表の小水嘉です。
ご訪問ありがとうございます。
令和哲学カフェ3期の10シリーズ目。
今回は、「他者」がテーマに。
これ、ものすごく興味深いです。
自分があるから苦しい
ナビゲーターは「若者哲学者」とNoh先生から呼ばれている野田憲冬くん。
いやー、非常にシャープですね。
プレゼン、わかりやすいし。
取り上げた哲学者は、
ハイデッカ―、レヴィナス、ドゥルーズ。
ドゥルーズは1期に深めたのがあり、なじみ深い哲学者。
あとはほぼ知らないのでとても勉強になります。
さて、人間はこの体を「自分」と思い、自分が何者かを知りたいし、自分を何とかしようとします。
「自分」があると、当然「他者」が生まれます。
「他者」とは何か。
それぞれの哲学者の規定の違いが面白いですね。
詳細はぜひ令和哲学カフェを見に来てください。
で、Noh先生の解析が毎日すごいんですけど、その内のひとつで「なるほどー!」と思ったのが、「自分」と「他者」があると、「他者」が圧倒的に多い、ということ。
この体の範囲が自分なら、それ以外は全部どこまでも「他者」です。
だから必然的に「自分」は小さい存在になってしまう。
これ、なるほどだと思いません?
人間、「自分」があると思った瞬間、小さい存在になることが決定するわけですね。
生きることは大変です。
辛いこともたくさんあるし、何よりも死にます。
よく聞くのは「死ぬなら意味ないじゃん」
虚無へまっしぐら。
そういう人って結構います。
なぜ楽しく、ワクワク生きられないのか?
それは、「自分」があるから。
「自分があるから苦しい」
そう言い切ったNoh先生の言葉の重みが、日々胸にしみこんでいきます。
生きたまま死ぬこと
「自分」があるから苦しいから、無我になりたいというのは人間の悲願と言ってもいいと思うんです。
じゃあ、「自分」をなくすにはどうすればいいのか?
「生きたまま死ぬこと」
Noh先生のこの解析も「なるほど!」でした。
というか、痺れました。
侍が追及した世界。
人間解放、自分救済の境地。
そして、生きたまま死んだ時、イメージ不可能な他者だけがある世界と出会います。
本当は自分なんか無い。
他者だけがある。
どゆことだと思いません?
私も最初はチンプンカンプンでしたが、徐々に腑に落ちてきています。
これって究極の福音だと思うんです。
そんな福音を論理とイメージで理解できるのが令和哲学です。
錯覚の自分と他者を楽しめる
自分は無い、イメージ不可能な他者だけがあることが明確にわかった時、自分と他者を心の底から楽しむことができるようになります。
なりたい自分、生きたい人生をゲーム設計できる。
そんな生き方を共につくっていきませんか?
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