生きるって何?死ぬって何? どちらも永遠にわからない認識機能の限界

生きるって何?死ぬって何? どちらも永遠にわからない認識機能の限界

こんにちは、小水嘉です。
ご訪問ありがとうございます。

突然ですが、「生きる」って何でしょう?
あるいは「死ぬ」って何でしょう?

人間なら一度は考えたことがあるテーマだと思います。
他にも例えば、

「男」って何?「女」って何?
「常識」って何?「非常識」って何?

とか。

こうした問いはペアになっています。
コインの表が決まれば、オートで裏が決まるように。
逆に言えば、一方がわからなければ、もう一方もわからないということ。

で、世の中にある私たちが知りたいことって、わからないことばかりです。
「生きる」「死ぬ」「男」「女」
どんな学問でも明確に定義しているものはありません。

「生」がわからず「死」を追求し、でも「死」がわからないから「生」を追求する。
行ったり来たり。
結果、何もわからないままとりあえず生きるしかない
それが今までの人間の現在地でした

ChatGPTまで出てきている今、わからないままとりあえず生きる時代は限界です。
一体何が原因なのか、ここに改めて立ち戻ることが一番必要なことではないでしょうか。

実は、私たち人間の認識機能は限界があります。

「現象の全体像」を観察・理解できないのです。

部分的にしか見れず、しかもその部分もありのままを見ることもできません。
出発の観察がエラーを起こしている状態です。

観察がエラーを起こすと、そこから始まる情報や知識もエラーとなります。
エラーを起こした情報や知識を元に問いを投げても、正しい問い自体を持てないんです。
正しい問いを持てないから、正しい思考も走りません。

観察エラーを起こす人間の認識機能の限界をわかって、認識技術を会得する道を案内しているのがnTech・完全学問です。

観察エラーを解除した現象の全体像が何か、そこから来る問いがどんなものなのか、
nTech・完全学問創始者のNoh Jesu先生がコラムにまとめているのでぜひ読んでみて下さい。

「科学技術の次の未来技術とは」