統一教会との政教分離の議論を終えて、言語革命から始まるOne World創建のビジョンを語ろう①

統一教会との政教分離の議論を終えて、言語革命から始まるOne World創建のビジョンを語ろう①

こんにちは、小水嘉です。
ご訪問ありがとうございます。

安倍元総理の銃撃事件から1か月半が経ちました。
今でも”統一教会”というワードが至るところで飛び交っています。
話題はもっぱら政教分離について。
議員に対して、
「あなたは統一教会に関係あるの?ないの?」
を暴き出すニュースがしょっちゅう流れてきます。

日本の膿が暴き出される

今回の事件を通して「責任を取って日本を変えます!」という人が全然いないことが、改めてあらわになりました。
ひろゆきさんはガンガン言ってますけどね。

ひろゆきが直言「安倍氏の死を嘆くのに、カルトを規制しない自民党に怒らない人はアホ」

曖昧にして流す日本の政治家よりよほど勇気があると言えますが、彼は日本に来て日本を変えるために一緒に動いてくれるわけでもない。
今の日本にはリーダーがいないということです。

それ以上に、この記事にも書いているように、日本人一人ひとりの心の荒みっぷりがヤバい。

母親が宗教にハマって家庭が崩壊したとしても、容疑者が幸せであれば、この事件は起きなかった可能性もあります。

「安心・安全」と言われていた日本。
今やそんなものは社会にも人の心にもどこにもありません。
建前笑顔が得意な日本人の裏にたまっていた膿があふれだしています。
膿はとことん出すのがいいですね。

宗教の限界の露呈

でも、この膿は日本だけのことではなく、宗教の限界が凝縮されたものだと思います。
日本は、宗教が根付かないという世界で極めて稀な国です。
だから宗教に対する客観的な理解が全然ありません。
とにかく「宗教=洗脳」「宗教=怪しい」みたいな方程式だけが根拠なく刷り込まれている状態。

世界ではむしろ宗教を持っていないと怪しいと思われます。
宗教に入っているのが当然で、そうでないほうが信用できないというのです。
日本人からするとかなり馴染みがない感覚ですね。
だからこそ宗教の限界があらわになりやすいと思うのです。

そもそも「神」という概念は人間がつくった”虚構”です。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた「サピエンス全史」にとても分かりやすく宗教が生まれた変遷が書いているのでお勧めです。
共通の”虚構”を持つことで、協力体制を進化させ、秩序をつくるためにつくられたのが神であり宗教でした。

ホモ・サピエンス、すごいですよね。
でも限界もあります。
終わらない宗教戦争を見るだけでも一目瞭然。

宗教の限界を感じた人たちが宗教革命を起こしたり、科学技術を発達させましたが、いまだ世界の多くの人たちはアイデンティティやライフスタイルと宗教が密接につながっています。
そんな世界の国々では宗教の限界を語りづらいものです。
だからこそ日本で遠慮なく(?)今回のような事件が起きたのではないでしょうか。

じゃあ宗教をやらなかったら良いのか、というとそんな問題ではないですよね。
宗教でも科学でも人の心を平和に、社会秩序を安定にするのに失敗しています。
そもそもが不完全学問なのです。

不完全学問の限界、そして日本から生まれた完全学問については次回。