「絶対」なんてない、は終わる?「絶対」があるから「相対」が生きる~「絶対世界=相対世界」を立証した令和哲学~

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こんにちは。
5人組づくりを実践しているコミズヨシミです。
ご訪問ありがとうございます。

これからは絶対性の時代

21世紀の悟り人 令和哲学者Noh先生がしばしば言うことで

「これからは絶対性の時代だ」

というのがあります。
正直、初めて聞いたときは「?」って感じでした。

そして、多くの日本人が反射的に抵抗感を感じるのではないでしょうか。

「絶対なんかない」
「絶対っていうのはよくない」

みたいなのがありますよね。
個性がつぶされてしまうような、宗教的な感じがして嫌な気持ちになったり。
そんな日本人の反応をものともせず言い切るNoh先生。
絶対性の時代とはどういうことでしょうか?
今日は改めて「絶対」と「相対」について深めたいと思います。

相対性しかないことの不安

「絶対」を嫌がる日本人。
では逆に相対性しかなかったらどうでしょうか?

めっちゃ不安になります。

全てが相対的だということは、条件や状況によってコロコロ変わるということです。
全てがバラバラで、厳密に見たら共通点は1つもなくなります。

その状態では何一つとして確信を持って決めることも考えることも、話すこともできません。
その時は「これだ!」と力強く意思決定したとしても、次の瞬間には変わっているかもしれないし、別の観点から観たら全く違う意思決定にもなるでしょう。
何を基準に考え、決めたらよいのか、自分の中に軸がなくなるのでものすごく不安定ですし、生きることそのものが不安と恐怖でいっぱいになります。
そして何をやっても最終的には意味がないと、虚無になります。

絶対性が嫌だとしても、相対性だけというのもかなーり大変ですね。

相対性しかないこの世界

でも、この世界には相対性しかありません。
全ては条件や状況によって変わります。

子どもの頃、私は絶対性を求めていました。
きっかけは友だちがつくれないからという崇高な理由とは程遠いもの(笑)
でも私にとっては最重要問題でしたね。

友だちがつくれる自分になりたくて。
自分の内を見ていくと、そもそも「自分って何?」ってなるじゃないですか。
「これが自分だ」という絶対的な基準軸がないと、人と関係性を持つこともできません。

でも、どこまで行っても相対性しかなく、「この世界に絶対性なんてないんだな」って思ったのが中学生の時でした。
とはいえ、絶対性がないと相対性も成り立たないはずだし、相対性しかないのはちょっと悲しすぎるなーと思ったものです。

絶対世界=相対世界を立証した令和哲学

令和哲学に出会ってびっくりしたことの一つが、

絶対性が何なのかを、発見し、明確に規定していたことです。

そこに留まらず、さらに

絶対世界=相対世界

を立証していました。
これが本当に。
こちらの動画にまとめているので見てみてください。

絶対から自由になる絶対性

ここで大事なのが、絶対から自由になる絶対性だということです。

「絶対」と言うと、他が許されなくなる、支配される、自由がなくなるイメージがきますよね。
特に一神教ではなく、八百万の神の精神がある日本は「絶対」を嫌がります。

でも、nTech・令和哲学が言う絶対性は、「絶対」から自由になる「絶対性」です。

対が絶える
すなわち1つしかない

1つしかないものを決めつけることはできません。
だからこその絶対尊厳。

何ものにも支配されない、決め付けられない
究極の大自由。

知っている世界を完全に0化した世界。
それが本当の「絶対性」です。

絶対性を活用する日本

Noh先生は、日本は絶対性の国だと言います。

究極のシンプルで生きる。
それが相性の良い民族性がありますね。
「道」の精神もそこに通じるものがあると思います。

そして、絶対性から相対性は生まれます。
1つだけがある絶対性を理解し、相対性が生まれる仕組みを理解することで、自由に相対性を生み出し、デザインすることができるようになります。

人生を自由にクリエイトする。
そんな生き方をつくっていきませんか?