【絶望シリーズ】自由意思か決定論か~因果アルゴリズムから自由になれない~

【絶望シリーズ】自由意思か決定論か~因果アルゴリズムから自由になれない~

こんにちは。
0=∞=1で5人組づくりを実践しているコミズヨシミです。
ご訪問ありがとうございます。

今日も絶望シリーズについて深めていきます。

希望は絶望の先にある

絶望というと良いイメージがないかもしれませんが、絶望は希望とセットです。

ハーバード大学の意思決定センターでは、感情の研究をしています。
そこでは、希望は絶望の後にしか生まれないという研究結果が出ているそうです。

参照)ハーバード大の研究で判明 「希望という感情は絶望の後にしか現れない」
https://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2018/03/22094118.html

というわけで楽しく積極的に絶望していきましょう。

自由意思か決定論か

さて、哲学の難題。

人間は自由意思か決定論か。

人間のプライドでは「自由意思だ!」と言いたい。
けれど、科学技術の進化とともに、調べれば調べるほど決定論でしかないことがわかってきています。

例えば、目の前にコーヒーがあって「コーヒーが飲みたい」と思ってコーヒーを飲みます。
この時、「コーヒーが飲みたい」という思いは自由意思でしょうか?決定論でしょうか?

自由意思だと思いますよね?
でも、決定論だと科学的に証明されています。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた「ホモ・デウス」でもこのことは触れられていて、わかりやすかったですね。

「人間はアルゴリズムにすぎないのか!?」

自由意思はどこにあるのでしょうか?

人間は機械

人間は機械です。
因果アルゴリズムの中です。

さらに別の角度から深めてみましょう。

私たちは物理法則の中にいます。
宇宙は今も膨張し続けていて、急にしぼんだりしません。
地球は自転しながら公転し、その軌道が急激に変わったりしません。
重力があるからこの模様・形を維持でき、電磁力があるから境界線が保たれます。
私たちは因果アルゴリズムの中で生きているのです。

別の例えをしてみましょう。
車が道を走っています。
車は自由に行きたい方向に走っているように見えますよね。
でも、果たしてそうでしょうか?
道がないところは走れない。
道が先にあって、走るところは決定しています。

車が道を走るのではなく、道が車を走らせているのです。
実は、人間の人生も同様です。
決定した道の上を走っているのです。

もう一度聞きますね。
自由意思はどこにあるでしょうか?

脳と心

決定論でしかないとなると、何をやるのも考えるのも意味がない気がしてきますね。
社会の秩序も崩壊してしまいそうです。
もし人を殺したとしても決定論なら誰がそれを裁けるでしょうか。

本当に自由意思はないのでしょうか?

この問題が解決しないのは、心と脳が何なのか、この関係性がわからないからです。
そして、心が脳に負けているから人間は自由意思を持てないのです。

心とは何か、脳とは何か、
どうすれば心が脳に勝つのか、
そんな問いをクリアし、自由意思と決定論を融合したのが令和哲学者Noh先生です。

Noh先生のブログにまとめてあるのでぜひ呼んでみてください↓↓

【令和哲学23】AI時代、哲学の最大の難題である「決定論」と「自由意志論」を融合する令和哲学

心が脳に負けたら人間は機械です。
しかもAIから比べたら、人間はとっても出来が悪い機械。。。
まずはこの事実をしっかり見つめて絶望することが大事ですね。
とことん絶望したら、その先に自由意思と決定論を統合する希望へと自然にシフトします。

人間の自由意思が花開く新文明を始めましょう。

~心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く~