「どっちでもいいよ」~考える力をつぶす日本の病気~

「どっちでもいいよ」~考える力をつぶす日本の病気~

こんにちは。
0=∞=1で5人組づくりを実践しているコミズヨシミです。
ご訪問ありがとうございます。

「どっちでもいいよ」

「どっちでもいいよ」

ってよく言いませんか?
私はよく使いますねー。
日常にある何気ない言葉。

でもなんと、これが人間の可能性をつぶしているんです。

どこが!?って感じですよね。
むしろ寛容さがあり、欲がなく、全体を配慮している思いがあるように見えます。
まあ、それよりは日本人て本当に「どっちでもいい」んでしょうけれど。
だとしてそれが一体何の問題なのか?ってことです。
なぜ人の可能性をつぶすのでしょうか?

とことん考える

この話は今日のNoh Jesu映画哲学オンラインサロンで話題に上がったんです。
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さて、逆に「こっちがいい」と言い切ることがどういうことなのかを考えてみましょう。

言い切れるか自分に向き合いますよね。
自分はどうしたいのか、自らの意志を確認します。
それに周りのことも考えます。
意志を持って言い切ったら、必ず違う意見が出ますから、そこにどう対応するか考えます。
言い切ることには責任も伴いますし、勇気もいります。
そんな諸々を全うしながら自分の意志を貫くにはどうすればよいのか、とことん考えるようになります。
だから自然と思惟が見について、人間性が深くなっていきます。

日本は「どっちでもいいよ病」

日本は異常なほど「どっちでもいいよ」ばかりです。
それは結果的に中途半端な和を生みます。
中途半端な相対性による繋がり。
それって薄っぺらいですよ。

今、日本に必要なのは、絶対性です。

「絶対」っていうと日本人はアレルギー症状を起こします(笑)
それって絶対的な何かに支配されるイメージがくるからだと思うんです。
その1つが絶対的で、それ以外は許されない、みたいな。
でもこれも中途半端な絶対性ですよね。
何かを自分の上に置いています。
「絶対」というのは「対」が「絶える」と書きます。
だから何かを上に置くとかありえないんです。
支配や強制のイメージがくるなら、それは相対性しか知らないということです。

nTech・令和哲学がいう「絶対性」は、知っている世界を完全に0化することです。
だから何者も上にも下にも置かない。
絶対尊厳。

だからこそ力強く、相対性の中でも「こっちがいい!」と言いたいことをしっかり言えるようになります。
そんな絶対性の下、相対性を楽しむ美しい生き方を皆さんとつくっていきたいです。

~心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く