令和哲学カフェ出演!!第1日目〜ニーチェと哲学・観点〜

こんにちは。
0=∞=1 でポストコロナ時代の美しい組織づくりを実践する小水です。
ご訪問ありがとうございます。
大好きな令和哲学カフェに出演となりました!
本日1日目。
こんな歴史的な出来事、やっぱりブログに想いを書き残すしかないでしょう。
心を活用した産業を起こす令和哲学カフェ
今日で令和哲学カフェとしては第45回目でした。
つまり、オープニング映像を見るのも45回目だったわけですが。
こんなすごいこと言ってたんだ!
と、今さらの気づきw
科学技術を超え、コロナによる不安や経済の問題も解決する英雄産業。
数学、物理学に通じる心のdefineをし、心を活用した職業、産業を生み出す。
小さなカフェから。
偉大すぎる。。。
改めてオープニング映像を見ながら、そんなことを感じました。
歴史をつくる一場面にいることが感無量ですね。
それにしても、話って、本当に聞く側の器の問題ですw
哲学・深い思惟の中心道具とは?
今日は、「哲学・深い思惟の中心道具とは何か?」という問いから始まりました。
相変わらずぶっ飛んだ質問です。
さらにそこに対するニーチェとカントの違いの解析に向かうと。
あなたは「哲学・深い思惟の中心道具」は何だと思いますか?
それは、「記憶」です。
記憶できなければ、考えが始まりません。
そして記憶させるためにひどい体罰などを与えて、2度と忘れないようにさせ、文化文明をつくってきた歴史があります。
その記憶の結果が、理性です。
ニーチェはこの記憶のことに気づき、否定した人でした。
私はここにものすごい涙と愛を感じました。
人間の無限の可能性を殺す記憶をし続けてきた人類歴史。
その記憶の蓄積によって思惟をする、理性となる。
理性によって私たち人間は真理に出会おうとしますが、その理性の土台が既に人間の可能性を殺した記憶から成り立っているのです。
ニーチェは教会による奴隷道徳の記憶をすりこまれている人間に対してどれだけの涙を感じたことでしょう。
だから「神は死んだ」と言い切り、教会にダイナマイトを放つまでのことをしたのではないでしょうか。
「超人たれ!」と、人間の無限の可能性を伝えたかった叫びだと思いました。
カントは、理性の裏にある記憶にまでは着目しなかったようですね。そこがニーチェとの大きな違いになります。
こんな解析ができるNoh先生は本当にすごい。。。
今回ニーチェを学ぶにあたってネット上で動画などをいくつか見ましたが、誰もそんな解析してなかったですね。
解析のパワーって人生をものすごく左右しますね。
明日からも真剣勝負!
一瞬一瞬を日本と共に歩いている心で楽しんでいきます。
〜心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く〜
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