人生はだます・だまされるゲーム!?〜日々進化する令和哲学カフェのWHT〜

こんにちは。
0=∞=1 でポストコロナ時代の美しい組織づくりを実践する小水です。
ご訪問ありがとうございます。
今日の夜も令和哲学カフェを堪能していました。
「哲学」になってから5回目。
徐々にカント哲学の理解も深まってきました。
そんなワクワク状態のところに、ドッカンときたNohさんの一言。
「人生はだます・だまされるゲームです」
今日はこれをとことん痛感するのだとか。
迎え撃とうと、覚悟を決めて臨んだ令和哲学カフェでした。
日々進化する意識拡張ワークWHT
それにしても、プレイヤーである5人の進化は本当にすごいです。
誰が何を言っていったのか把握してしっかり返すし、話す姿勢の堂々さが日々増していきます。
WHTとは短期間でここまでコミュニケーション力を進化させるのですね。
もちろんそれが可能になる背景には、プレイヤー皆さんの令和哲学、nTechを活用している認識能力があってのことだとは思いますが、とにかくすごいですね。
さらにNohさんの洞察力、質問力が半端ない。
その都度の質問はなんのシナリオもなく、Here&Nowだとか。
いや、もうこの凄さは語れません。
とにかく一度ご覧あれ。
認識主体をどこに置くのか
今回、中心に取り上げられたさわゆうさんとこうたくんの発言。
私はさわゆうさんが言った認識主体、認識対象がどこをイメージして言っているのかがわからず、整理がつきませんでした。
カント哲学では認識主体を何段階かで分けています。
それを令和哲学の解析で整理すると、
・思い込みの主体(瓶の中の鳥)
・事件の主体(観点、認識形式)
・解析の主体(瓶の外。源泉的動き)
私はさわゆうさんは思い込みの主体を認識主体と言っているのかと思ったのですが、解析の主体を認識主体だとイメージしていたようなのです。
話が全く変わってきますよね。
認識主体をどこに置いているのか、イメージを一致させるが大事ですね。
それにしても、Nohさんはなぜさわゆうさんのイメージがわかったのだろうか。。。
瓶の中にいる限りだます・だまされるゲーム。それは嫌!
さて、素晴らしいテーマとWHTでしたが、Nohさんとしては予想外れだったそうですw
いかに瓶の中にいる状態だと、だます・だまされるゲームが、
分かり合えず、
愛し愛されず、
平和になれず、
悲惨で、屈辱的で、苦痛なのか。
それをとことん味わう会にしたかったそうです。
でも、みんなだます・だまされるゲームは好きだと肯定的に捉えたのがあり、流れが違う方向へw
その場に出たものでつくりあげている令和哲学カフェなのだと、リアルさ、クリエイティブさが面白いですね。
何よりどんな状況でも楽しんでいるNohさんの在り方が、瓶の外なのだなと感じました。
けれど、瓶の中の鳥の状態がどういうことなのか、理解や実感を深めることは大事だと思います。
私たちの現在地だから。
現在地の地獄っぷりがわかるからこそ、天国の未来へも向かえます。
明日もだます・だまされるのテーマを取り上げて、悲惨さを実感したいなーと密かな期待をしている私でした。
あなたは、だます・だまされる人生のゲームは好きですか?嫌いですか?
〜心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く〜
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