ポストコロナ時代、曖昧コミュニケーション日本人からの脱脚

ポストコロナ時代、曖昧コミュニケーション日本人からの脱脚

こんにちは。
0=∞=1 でポストコロナ時代の美しい組織づくりを実践する小水です。
ご訪問ありがとうございます。

人間そのものの進化が求められる時代

コロナ第1波が落ち着いてきましたが、経済が元どおりになるメドはなく、さらなく会社倒産やそれに伴う雇用喪失がひどくなっていきます。

良くも悪くもコロナでIT化が進み、人間がやらなくても良い仕事もたくさん明らかになっています。

以前から、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」で著名なユヴァル・ノア・ハラリ氏が無用者階級が量産されると危惧を呈していましたが、いよいよ本格的になってきましたね。

この危機をどうすればよいのでしょうか?
人間自身の進化は必須です。

疎通交流能力や、意思決定能力を急速に高める必要があると思います。
他にも、アイディア力や、協調性、主体性などなど。

今の時代は、今まで1年かけて決めていたことを3分で決めないと対応できないですから、そのくらいの一人ひとりの成長が必要ですね。

曖昧コミュニケーションの日本人

そう理想を掲げるのはいいですが、日本人の現状はなかなか厳しいものがあると思いませんか?

しょーじき、日本人って、主体性ないですし、論理力ないですし、とにかく雰囲気に合わせて長いものに巻かれる。。。
私もそういう傾向、あります。。。
もはや戦後の日本の文化ですね。

つい先日も、ある事業主の方と話していて、打ち合わせで決めたにも関わらず、いざ現場に行くと、全然違う論点で話が進んでいったということがあったそうです。
そして論点が全く変わってしまっていることに、誰も何も突っ込まず、最終的にうまくいってよかったねーで終わったと。
最後にその事業主の方が、論点がズレていたことを指摘すると、
実は気になっていた、
違和感はあったが忘れていた、
といった声がたくさん出てきたそうです。

これ、結構会議やプロジェクトの現場でよくある話ではないでしょうか。
今回は事業主の方が指摘したから明るみになりましたが、「まあ、いいか」で終わらせることもあると思います。

これが日本人のコミュニケーションの現在地ですね。
今まではそれでも良かったかもしれませんが、AI時代、ポストコロナ時代には、そのレベルの人間は無用者階級だと言われても、NOは言えないなって思います。

令和哲学カフェ

さて、令和哲学者Noh Jesuさんが、最近「令和哲学カフェ」という場を始めています。

「美学とは」「哲学とは」といった本質的なことを、令和哲学の観点から解析していく場ですが、そこでとっているコミュニケーションワークが秀逸です。

WHT=Widening Heart Technology

というもので、質疑応答がランダムに行われる感じです。
百聞は一見に如かず。
月〜金 21:00ー22:30で開催しているので、ぜひ見てみてください。

サイトはこちら

https://reiwaphilosophy.com/

WHTを見てみると、自分たちのコミュニケーション力の現状がとてもよくわかります。
見ていて面白いですが、笑っている場合ではないなという良い意味での切迫感も湧きますね。

けれど、5人の参加者が連日WHTを行なっていると、日毎に彼らのコミュニケーション力が進化していくんです!
その進化っぷりが見ていて感動であり、希望も感じます。
私もいつかチャレンジしたいなと、ちょっとビビりながらも機会を狙っていますw

観点をマスターしたら無敵

令和哲学、nTechでは「観点」のことを取り上げています。
観点が何かの詳細はまた別の機会に。

観点を理解することは、とても大事です。
考えの始まりと終わりを理解するための必須要素です。
逆を言えば観点を理解しないと、何をどのように考えたら良いのかわからないということです。
当然、主義主張もできなくなります。

観点がわかるから、∞主義主張ができ、
全てを手放して0にもなれます。
そして、∞も0も自由自在に行ったり来たりできる心のゆとりがもてるようになると、どんな相手でも堂々と楽しくコミュニケーションがとれるようになるのです。

それが、0=∞=1 の心の状態です。

ポストコロナ時代は、観点をマスターして、コミュニケーションの美学を世界に見せましょう。

〜心が脳に勝利する時代を令和日本から切り拓く〜